兵庫 食の応援団

「神戸ビーフがつないだ、素敵な縁(えにし)」

世界で知られる神戸ビーフの美味しさ。

弁理士として、知的財産に関する専門知識を活かし、様々な企業の産業財産権全般についての業務に携わってこられた角田さん。国際事案を扱う弁理士は数少ない中、角田さんは若手の頃から海外でのお仕事も多く、様々な国を舞台に精力的に仕事に取り組んでこられたそう。知的財産や企業の産業財産権の保護は展開する国ごとに特許申請が必要になるため、「約200カ国以上の国で特許や商標の申請を行いました。訴訟のため、米国に1年間滞在して対応したこともあります」と、微笑まれます。「仕事をはじめた頃は、より多くの国の方と顔見知りになろうと積極的に国際会議や国際セミナーに参加しました。自己紹介の時、役立ったのが神戸ビーフ。当時、日本の認知度は低く『神戸から来た』と言っても通じないことが多かった。そこで『神戸ビーフを知っているか?僕は神戸ビーフの街から来た』と言うと、『知ってるよ。美味い肉らしいな』と、会話が弾むんです。神戸ビーフが関係を繋げてくれ、その後の私の仕事のあり方を大きく変えたと言っても過言ではないと思っています」。「神戸ビーフはそんなに昔から世界で知られていたのですね」と、驚く白井さん。

 

 

神戸牛は、松坂牛や米沢牛のように産地で飼育されている牛の銘柄ではなく、飼育条件と厳しい規格品質に合格したごく少数の但馬牛の肉の商品名。神戸ビーフの名が正式に誕生したのは1983年と、その歴史は浅いのですが、「かつて、日本に寄港した外国の船乗りたちによって、神戸ビーフの美味しさは世界に伝わっていったのだろうと思います。但馬牛を1頭ごと買い入れて神戸港から運んだという記録も残っています」。海外から大切なお客様が来られた時は、もちろん美味しい神戸ビーフをご馳走しておもてなしをする。神戸ビーフが角田さんのお仕事を潤滑に進める上で重要な役割を果たしていたことは違いありません。「先生にとって、神戸ビーフはずっと特別な存在だったのですね」と、白井さんは感心しきり。

 

 

後半は、同じく応援団団員でもあるアートフラワー作家・佐藤悦枝さんも加わって神戸ビーフ談義に。

(白井) 悦ちゃんは、「兵庫の特産品を知ってもらおう応援団」の発会式でも、『私は兵庫の特産品をたくさん買って応援する!』と、メッセージを掲げてくれていましたね。神戸ビーフを食べる機会は多いですか?

(佐藤) うちは、父がお肉好きで、冷蔵庫にいつも1キロ程のお肉が入っていました。そんな家で育ったので、比較的よくいただく方かも。良いお肉を食べると、みんな笑顔になるから不思議ね。

(白井) 最近はステーキ肉も、霜降りより脂の少ない赤身肉が人気だそうです。角田先生も、よく召し上がっておられます?

(角田) 僕は、海外からのお客様をもてなす機会も多いので、確かにお肉を食べる回数は多かったかもしれません。でも、料理の得意な妻が健康を気遣って身体にいいものをあれこれと作ってくれたので、おかげさまで元気に過ごせています。

(白井) 奥様に感謝、ですね。

(佐藤) 95歳を超えた友人のお父上もお元気で、週に1回は必ずお肉を食べると聞きます。とってもパワフルですよ!

 

 

(白井) 今日は、角田先生の神戸ビーフにまつわる思い出話などをお聞かせいただきましたが、兵庫のとっておきの食材をどうしたら次の世代に残していけるか、先生はどのようにお考えですか。

神戸ビーフは、市場に出回る量が少ないため、どうしても高額になってしまいますが、どうつないでいけばいいでしょうか。

(角田) 食から広がる世界ってあるよね。僕にとっては神戸ビーフの存在は本当に大きかった。世代が違っても、共通して言えることは、“美味しい”という感覚は、世界共通。人と付き合う時は、一緒に飯を食うのが一番早いんです。美味しいものを食べる時は、自然に笑顔になるしね。今の若い人に言いたいのは、もっと人と一緒に食事を楽しんでほしいということかな。孤食は文化を衰退させる。そこに神戸ビーフのように美味しくて良いものがあれば、いろんなことがうまくいく、そんな気がするね。

 

お話の後は、株式会社DOWELL代表取締役・新温泉町観光大使の奈良浩美さん、

株式会社夢工房・代表取締役の田中裕子さんも加わって、神戸ビーフのサーロイン、ヒレ、ラムシンのひと口ステーキと、サーロインの薄切りと野菜をタレで絡め焼きした「焼きすき」をいただきました。舌の上でとろけるような霜降りが美味しい神戸ビーフですが、近頃は健康志向もあって「赤身の多いとこところを」とリクエストされる方も多いそう。